「そんなモノ、まだ取ってあるの?」
「もう使ってないなら、捨てればいいじゃん」
「必要になったら、また買えばいいでしょ?」
「迷ってる時間がもったいないよ」
「いる?いらない?はい、どっち?」
片付けが得意な人からすれば、
「なんで決められないの?」
「捨てるだけなのに」
「ちゃっちゃとやれば終わるのに」
そう思ってしまうことが
あるかもしれません。
でもね。
もし、それができるのなら。
とっくにやっているんです。
とっくに片付けています。
何年も。
何年も。
苦しんでいません。
私はこれまで、
たくさんのお客様のお宅に伺ってきました。
そして、
片付けの途中で涙を流される方を
何人も見てきました。
「私、どうしてこんなに捨てられないんでしょう」
「普通の人はできるのに」
「家族にもずっと言われていて、、、」
「自分でも嫌になるんです」
そう言って、
モノを握ったまま
涙を流される方もいます。
その姿を見るたびに思うのです。
この方は、
今日初めて苦しくなったわけじゃない。
きっと何年も。
もしかしたら何十年も。
「片付けられない自分」を
責め続けてきたんだろうな、と。
家族に言われ。
SNSのきれいな家を見て。
友人の家と比べて。
「なんで私はできないんだろう」
「私ってだらしないのかな」
「私がおかしいのかな」
何度も何度も、
自分にそんな言葉を
投げつけてきたのかもしれません。
だから。
そんな人に、
「早く捨てなよ」
「こんなのいらないでしょ」
「だから片付かないんだよ」
なんて、
私は言いたくありません。
だって。
本人が一番、
わかっているから。
片付けなきゃ。
減らさなきゃ。
どうにかしなきゃ。
頭では、
もう十分すぎるほど
わかっているんです。
それでもできないから、
苦しいのです。
長年、
苦しいのです。
片付けの現場では、
たった一枚の紙を
手放せないことがあります。
もう着ることのない服を、
何十分も握りしめて
悩むこともあります。
誰かから見れば、
「ただの紙」
「ただの服」
かもしれません。
でも、
その人にとっては違う。
そこには、
思い出があったり。
後悔があったり。
「いつかこうなりたかった自分」が
いたりする。
モノを手放すということは、
時に、
過去の自分と向き合うことでもあります。
だから私は、
急かしません。
「捨てましょう」と
勝手に決めません。
「これはいらないですよね」と
答えを奪いません。
迷ったら、
一緒に考えます。
手が止まったら、
待ちます。
涙が出たら、
その気持ちごと受け止めたいと思っています。
片付けは、
モノを捨てることではありません。
その人が、
これからどんな暮らしをしたいのか。
どんな毎日を送りたいのか。
どんな自分でいたいのか。
一緒に見つけていくこと。
私はそう思っています。
片付けられない人に必要なのは、
正論ではないのかもしれません。
「大丈夫」
「ゆっくりでいいよ」
「一緒に考えよう」
そんな言葉なのかもしれません。
長年、
片付けで苦しんできた人に。
これ以上、
片付けで傷ついてほしくない。
片付けを通して、
「私にもできた」
「私、変われるかもしれない」
そう思ってほしい。
私は今日も、
そんな想いで
お客様の隣に立っています。
